写大ギャラリーにて細江英公追悼展「写真への愛と尊敬」を開催(4/8更新)
2024年9月16日に91歳で逝去された写真家、細江英公(ほそええいこう、1933?2024)を追悼する写真展を開催します。細江は、1974年に東京写真短期大学(現東京工芸大学)の教授に着任し、2003年までの29年間教鞭をとり、多くの卒業生を輩出しました。写大ギャラリーは、1975年に細江の発案によって、日本初のオリジナルプリントを収蔵、展示を行う常設施設として設立されました。本年、設立50周年を迎え、1万2千点を超える作品を収蔵する写大ギャラリーですが、設立から定年退職するまでの30年近くは、細江が中心となり運営を行ってきました。細江の強固な意志と多大なる尽力がなければ、今の姿はありません。
細江は1933年に山形に生まれ、東京で育ちました。1952年に東京写真短期大学(現東京工芸大学)に入学し、学生時代から、前衛芸術家の瑛九(えいきゅう、1911-1960)が中心となって結成した、既存の美術団体の権威に挑む、自由と独立の精神を尊重する若い芸術家集団「デモクラート美術家協会」に参加します。卒業後、フリーランス写真家として活動し、1959年、同時代の新進気鋭の写真家とともに、写真エージェンシー「VIVO」(ヴィヴォ、エスペラント語で「生命」の意味)を設立します。1960年代から70年代にかけては、男女の性と肉体をテーマにした「おとこと女」、小説家の三島由紀夫(みしまゆきお、1925?1970)を被写体とした「薔薇刑」、生地であり戦時中の疎開先でもあった東北を舞台に、前衛舞踏家の土方巽(ひじかたたつみ、1928?1986)を被写体とした「鎌鼬」、男と女の抱擁の強さと優しさを視覚化した「抱擁」など、のちの写真史に名を残す作品を生み出しました。その後も精力的に写真家としての活動を続け、2003年には英国王立写真協会から「生涯にわたり写真芸術に多大な貢献をした写真家」として特別勲章が授与されました。2010年、写真家として4人目となる文化功労者として顕彰され、2017年には栄えある旭日重光章を受章しました。
活動は写真家としてだけには留まりません。世界最大の写真コレクションを誇るジョージ?イーストマン?ハウス国際写真美術館の所蔵作品から、選りすぐりの歴史的な写真の名作約300点による展覧会を企画し、日本への招致を成功させます。次に、国際写真文化交流会議を発足し、それまでヨーロッパ圏外では紹介されることがなかったヨーロッパの若手写真家約30名の作品を日本で発表する展覧会を開催します。また世界各国にて、その地の写真家と数々のワークショップを行うなど、世界と日本の写真界を結びつける活動を行いました。写真家としての国際的な評価だけではなく、広く写真文化の発展や写真教育に貢献しました。日本そして世界の写真界への果たした役割の大きさは計り知れません。
タイトルの「写真への愛と尊敬」は、細江が大学教授として、学生にたびたび口にしていた言葉です。「写真に対して真摯に愛と尊敬を持っていれば自ずと行動が決まる。そうすれば写真によって人生をより良い方向に切り開ける。」細江と時間を共にした当時の学生にとっては、強く記憶に残る言葉です。これまでの活動の資料や記念写真、そして写大ギャラリー?コレクションから代表作を展示します。写真家としてはもとより細江英公の幅広い活動を改めて紹介します。

