足跡
2024.3.12
東京工芸大学芸術学部卒業?现在哪个app能买足彩修了制作展2024~写真学科~
「東京工芸大学芸術学部卒業?现在哪个app能买足彩修了制作展」では、芸術学部(写真、映像、デザイン、インタラクティブメディア、アニメーション、ゲーム、マンガの7学科)と芸術学研究科の学生が各々の個性的な発想を元に、精魂込めて作り上げたメディア芸術作品群が展示されます。未来のメディアアーティストたちの作品をピックアップしてご紹介します。
あわいの中で
写真学科
沢田 優生
ある日、塀の上にいた猫と目があった。その猫は険しい顔でこちらを見据えていた。毛は汚れボサボサだが、どこか気高さのようなものを感じた。その出会いは、外に棲む猫の力強さに魅せられ、日々を生きる姿を撮影したいと考えるきっかけになった。
河原や森、公園、住宅地、島で撮影を続けていると、人間社会が猫に恩恵を与えているように見えてきた。
猫は、人間が廃棄した人工物を本来の目的と違った形で利用し、人間のために作られた空間を猫独自の世界に組み込んで活用していた。
自然と人間社会の間(あわい)で生きる猫の適応力の高さと共に、その背景に写り込むものも見ていただきたい。
「In Lotus-Land Japan」
LIN SIDING
観光について話していた時、「海南省は中国のハワイ」という話を聞いた。それが気になった。こうした例は、海南が特別ではないようで、インターネット上で特定の異国情緒を用いて宣伝することは一般的だ。後で気づいたのは、異国情緒を取り込んだ消費トレンドが完全に私の日常生活に浸透しているということだ。
今住んでいる日本でも、エキゾティックな風景が溢れている。建築、商業施設または異国特有の?然の?景が?活に混在しているのを?つけるのは難しくない。このようなインフラが身の周りの風景に再配置されていくのが?られる。したがって、都市はある種巨大な「テーマパーク」と似ているような存在になってきたのではないか。
一方で、なぜ多くの人々がアメリカやヨーロッパ的な要素に魅了され、消費欲を刺激されてしまうのか。なぜそこかしこにエキゾティックな風景が溢れていて、特にアメリカの模倣が「至る所にある」のか不思議でならない。?洋近代の影響の下、?着的なものとも、その国本来の?化とも異なるものが?み出され、伝統的なものや歴史が失われつつあるという懸念も表れている。そうした?景を再発見し、再認識するため、作品化した。
くものいと
北洞 花
森の中での散歩は、静かであたたかな空気を感じてとても好きだ。ただひとつ、どうしても虫が苦手である。その中でも、森の広範囲を覆う蜘蛛の巣を厄介に感じていた。何気なく歩いていると、顔から巣をかぶった。それから、蜘蛛の巣がどこにあるのかを神経質に探すようになった。あるとき森を歩いていると、太く大きな木の枝が蜘蛛の巣に引っかかり、揺れていた。それを通り過ぎると、今度は目の前で宙ぶらりんになったまま暴れているとかげに出会った。糸が尾に絡まっていた。たくさんの落ち葉が絡まった巣の空間は、まるで森のガーランドのように美しかった。彼らは生きるため、粘着質の糸を張り、森にやってくる生き物をつかまえる。その行動は自然の摂理に沿ったものである。だが、それにより生み出されるものは、まるで彩り豊かな偶然のキャンバスであり、神秘的な力を感じた。その力に導かれるように、蜘蛛の巣を探すようになった。今まで見ようとしてこなかった小さな世界には、大きな空間がどこまでも広がっていた。無意識に森を彩る彼らは悠々と、今日も巣をつくる。その糸はさまざま絡み合い、どこまでも続いていく。
About her.
写真学科
西野 未悠
自分のことをどこにでもいるような、これといった特徴のない普通の人間だと考えていた。しかし、周りの人からは「あなたは変わっている」「他の人とは違う」と言われることが多くあった。私は自分のことを客観的に捉えることが得意だと自負していた。それゆえ自分では思ってもいなかった一面を指摘されることに納得がいかなかったのだが、そもそも自分自身のこれまでの記憶や感情を持ちながら他人としての視点を得ることは不可能であり、自分と他人で認識の違いが生まれるのは当然の事であったのだ。
そこで私は自分を、自分ではない他の人間であると仮定し、他人としての自分を表現することを試みた。もし自分が他人であるならばどう見えるのか、自分のことになるとネガティブなことばかり考えてしまうがポジティブな感情を抱くことができるのか、どのような環境で生きてきたのか、自分自身を改めて見つめ直した。感情や記憶を持っていないカメラで撮影しプリントされたイメージは、今まで当たり前だった景色が他人の視界をのぞいているかのような感覚が得られた。この作品を見た時には、他人と同じ視点に立って自分という他人を想像することができるのではないだろうか。
Kirin
中島 陽和
動物園で死んだキリンは、解剖などを行うためにトラックで研究施設へと運ばれる。この事実を受け、キリンが当たり前に動物園にいる動物としてではなく、日常に潜んでいる可能性があることに強い違和感を覚えた。本作では、ある死んだキリンを追憶する。
※所属?職名等は取材時のものです。
実践的な教育が写真に関わる全ての仕事で通用する真のプロを育てる。
1923年創立の「小西写真専門学校」をルーツとする本学科は、日本で最も長い歴史と伝統を誇る写真教育機関です。90年以上の歴史の中で培われた教育ノウハウは、他校の追随を許しません。写真技術だけでなく芸術分野の専門科目を学ぶことで総合力を習得。写真に関わるあらゆる領域で活躍できる真のプロフェッショナルを育てます。